へきしおつながりプロジェクト

へきしおつながりプロジェクトは、参加型の「復興支援活動」です。
3年間続けてきた復興支援
元気ッス!へきなん市民会議では、東日本大震災が発災した2011年から、毎年「リストバンド」を作成して、収益から費用を除いた全額を復興財源として宮城県塩竈市に寄付してきました。
3年が経ったとはいえ、復興はまだまだこれから。会議メンバー全員が「引き続き復興支援に取り組んでいきたい」という意見で一致しました。
では、どんなことが支援になるのか。
お金だけじゃない支援の方法を、全員で考えてみました。

「へきしお」とは
愛知県碧南(へきなん)市の「へき」と宮城県塩竈(しおがま)市の「しお」で「へきしお」です。
碧南市は、人口規模が近い、小中学校の数が同じ、内海で湾内に面している地形、港湾を持っている等、類似点が多い宮城県塩竈市を重点支援先とし、2011年に延べ10名の職員の派遣や支援物資の提供を行いました。そして2012年7月、塩竈市への応援体制をより強固なものとするため、災害時相互応援協定を締結しました。
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Tシャツをつくろう!つくってもらおう!
復興支援グッズとしてリストバンドに加え、タオルとTシャツをつくることにしました。そのTシャツを塩竃の業者さんにつくってもらおう、ということになったのです。塩竃経済への貢献という一つ目の支援です。
お願いしたのは、塩竈市の有限会社三ツ扇包材です。Tシャツの仕様を決める打合せをしながら、震災、復興、そして塩竃への想いを直にうかがい、会議メンバーはたくさんの元気を頂きました。
またTシャツの題字は女性書道家の西尾真紀さんにお願いしました。趣旨に賛同され、快く引き受けてくださいました。

収益は復興財源に!
塩竈市では毎年海の日に「塩竃みなと祭」が行われます。日本三大船祭りにも数えられ、元気ッス!よりも50年も古い歴史ある大きなお祭りです。
お祭りの催しの一つに前夜祭の花火大会があります。地元でも有名な壮大な花火大会でしたが、観覧席に使用していた施設が被災し、安全上の問題から現在まで「完全復活」とは言えない状態が続いています。
「もう一度、あの花火大会を」と前夜祭を運営する青年団体の役員でもある三ツ扇さんは、切に願っています。まだまだ復興にはお金が必要です。1円でも多く寄付を続けたいと思います。花火大会の復活すれば、本当に復興ですね。

Tシャツを「着る」ことが支援!
行動できる復興支援の最大の目玉は、Tシャツを着て笑顔の写真を撮ることです。
「おかげで、こんなにも元気ッス!を楽しめてます」
というお礼を、元気な笑顔にのせておくる取り組みです。
塩竃からも同じTシャツを着て、元気な姿を写真で届けてもらいます。このつながりこそ、私たちが本当にやりたかった復興支援。Tシャツの名前は「へきしおつながっTシャツ」です。
支援する側とかされる側ではない、元気のリレーが「へきしお」をつないでくれたらいいですね。
